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社員紹介 Special Message

嬉野雅道
嬉野雅道

Special Message

嬉野雅道 Masamichi Ureshino

放送事業部 HTBコンテンツビジネス局派遣 ディレクター
1996年入社

ミルカに興味を持たれるみなさん こんにちは

嬉野です。さて、ミルカという制作会社に興味を持って、このページに来てくださる皆さんの中に、ぼくのことや「水曜どうでしょう」のことをよくご存知の方もおられるとのことなので、長くミルカに籍を置く者として、そしてまた、長く生きてきたてまえ、何か、みなさんの人生の足しになるようなことでも書けないものかと、一旦は思いましたが、しかし、そんなものは、たいして思いつかず。でも、とりあえず、あてもないままに書き始めてみたら、どこかで何かにたどり着くかもしれないとさらに思い直し、こうしてキーを叩きだしたわけです。

意外! 人生は 思うようにならないから味がある

意外! 人生は 思うようにならないから味がある

ぼくがミルカに籍を置くことになったのは今から25年も前。1996年の2月のことでした。それから半年後の8月には、もう藤村くんと二人で「水曜どうでしょう」を立ち上げて、最初のロケに出て、以来25年、いまだに「水曜どうでしょう」ディレクターとして現在に至るわけですから、たしかに改めて振り返ってみると、なんだか「水曜どうでしょう」を始めるために、自分では何も知らずにミルカにやってきたように見えなくもなく、「ひょっとして運命的なことってあるのかしら」「やっぱり、あるんですよ、みなさん」と、占い師みたいな“したり顔”で、言ってしまえそうな気もしてきますが。でも、事実はまぁ、たんなる偶然の連続でしかなく。生きていく上でだれもがそうであるように、私もまた、私の知らないところで、そのときそのときに私の進路を決めてくれた「私ではないだれか」の采配や、思惑や、気まぐれやらで、私は、“とりあえずスタート地点”に立たされて、そこから、「はて、どうしたものか」と、自分のセンスだけを頼りに動き出す、ということをやってきただけのことです。


でも人生は、だいたい自分の思うようにいかないものだからこそ、自分が考えたこともなかった岸に流れ着くことになるわけで、それでも「ここはどこだ」と戸惑いながら、案外そこで自分の想像を超えた世界へ繋がる扉を開けることにもなるわけです。そして意外に、そんなところにこそ自分に適した世界が待っていたりするものなんです。それを思えば人生なんて、自分の考え通りに進むより、他人や世の中に流された方が良いときもある、ということですよね。意外に思われるでしょうけど、そんなもんですよ。

偶然の出会い そしてはじまった「水曜どうでしょう」

偶然の出会い そしてはじまった「水曜どうでしょう」

25年前のぼくも、そうだったかもしれません。中途採用だったぼくは、ミルカとの面談で「自分としてはドキュメンタリー志向なのです」とか、ついついカッコつけて言ってしまったものだから、ミルカも気を使ってくれたのか「だったら春からHTBで始まる朝番組に」という話に、一旦はなりかけたのですが、ぼくが中継の経験なんかまるっきりないことが朝番組の現場に知れると、「中継の経験のない人は、ちょっと、勘弁してください」と、現場から激しく難色を示されたらしく(そりゃもっともな話ですよね)、で、けっきょく「申しわけないけど嬉野くん、そういうことなんで制作部に行ってください」となり、ぼくはHTBの制作部に派遣されることになったのです。その時点では、たしかに私は期待したものとは違った進路を進まされたのでしょうが、それでも今という未来から当時を振り返ってみると、「あのとき朝番組に行かなくてよかったよなぁ」と思えるわけです。


だって、もし、あのとき朝番組の現場に妙な理解があって、「いやぁ中継の経験なんかなくたって是非来てくださいよ」なんてことになっていたら、ぼくは制作部に派遣されることもなく、当然ですが藤村くんと出会うこともなく「水曜どうでしょう」に関わることもなかったわけです。そしたら「水曜どうでしょう」もまた、どんなテイストの番組になっていたのかなぁとも思うのです。SF的に考えると番組のタイトルだって撮り方だって編集の仕方だって、いろんなものが違っていたかもしれませんからね。


だからまぁ、長く生きてみないと、「何が良かったか、良くなかったか」なんていうのは分からない。一番損なのは、早々と自分で「ダメだ」とか「いやだ」とか結論を出してしまうことです。とりあえずは、ひとつ方向が決まったんだったら、しばらくはその成り行きに身を任せて、事の推移を眺めてみる時間は必要です。でないと自分が幸運へ向かっているのか不幸へ向かっているのかの判断はつきませんからね。なにごとも早合点は損の始まりです。

おっさんディレクターあやうし

おっさんディレクターあやうし

ぼくが派遣されたばかりのころのHTBの制作部には、29歳とか30歳とかの年齢のディレクターが8人くらいいました。制作していた番組こそ、ど深夜に放送していた「モザイクな夜 V3」というバラエティー番組が一本きりだったのですが、中身の分量を見れば月曜から木曜まで毎晩放送される帯番組であり、しかも毎晩、テイストのまったく違う番組を放送していたので、状況から言えば毎週4つの独立したバラエティー番組を作って放送しているようなものだったので、それくらいの数のディレクターが常時作業していないと回せなかったのでしょうね。いや、常識的に考えたらそれだけいてもまだ足りなかったでしょう。だって、ほとんど一曜日の番組を一人のディレクターが担当して作っているような状態でしたから。


思い出すと、みんなスケジュールに追われていましたね。なので、あの頃は、どんな時間に制作部へ行っても、たとえ夜中でも明け方でも、誰かしらディレクターが編集室で作業していたものでした。中には椅子に座ると眠ってしまうからと朝まで立ったままで編集し続けるディレクターもいたくらいでした。
そんな、かつての状況を今こうして思い出してみると、たしかに当時のHTB制作部は若手ディレクターの熱気であふれていたかもしれません。でも、それはおそらくぼく自身も36歳と若かったから、その若さが懐かしくて、そう思うだけかもしれません。そして、今から振り返ると36歳はまだまだ若いなぁと思えますが、でも、当時の制作部にいたディレクターたちにしてみれば、自分らより6歳も年上のおっさんディレクターがやって来るというのですから、「厄介だなぁ」としか思えなかったでしょうね。ぼくを送り出すミルカの採用担当の人も、ここだけの話だけどさぁといった感じで、「若手集団の中にひとりで入っていくのは大変だろうけど、まぁ嬉野くんなら大丈夫だよ」と、「何を根拠に」と思えるような妙な励まされ方をされました。


そんな感じで制作部に籍を置いてから一ヶ月と少したち、新年度になって札幌の雪も溶けたころ、それまで制作部にいた、ひとりのディレクターの姿が見えなくなったのです。「あれ? 彼どうしたの?」と近くにいた同僚のディレクターに尋ねると、「あ、あの人ね、3月までで契約切れてやめたんだよ」というのです。「え?そうなの」と驚くと、「彼もねぇ、嬉野さんみたいに東京から来た人だったんだけどね。なんか、合わなかったみたいだね」と締めくくるわけです。


「なるほどねぇ」と、ぼくは腕組をしながら、「つまり、お払い箱になったわけか」と、腹の中で思いました。しかし、そらしょうがないよねぇ。だってねぇ、能力が高ければそもそも札幌くんだりまで来なくても東京で活躍できるわけだよ。それを札幌へ流れてきたということは、やっぱり東京ではやってられなかった何か理由があったからだろう、みたいな見られ方は、たしかに周囲からはされるかもしれないなぁ、と思うと、「あぁ。だったらオレの見られ方もそういう感じかぁ」と、了解されてきたわけです。
まぁそうなんですよ。だって、事実ぼくも内心では自分がTVディレクターに向いているとは思っていなかったんですよ。その結論にはもう、そのとき自分の中で達してましたね。だって。ぼくの場合、タレントさんを前にしてもとくにやってほしいことなんかないんですよ。何して欲しくもない。そんなディレクターっています? いませんよ。そんなやつがバラエティーのディレクターやってたら間違いなくそいつはダメディレクターです。まぁ、それがぼくだったんですけどね。ただ、センスだけはあるんだけどなぁという妙な自信はありましたけどね。

ダメディレクターとは こんなやつ

ダメディレクターとは こんなやつ

たとえば、こんなことがありましたよ。あるとき、「モザイクな夜」のロケで、ブラザートムさんとご一緒することがありました。トムさんはタレントさんだけど演者である上に企画力もある方ですから些細なことからでも波乱を起こして番組にしてくれる方でした。


で、そのときは、こちらが仕込んだ取材先で既にロケを終わっていたんですが、トムさん的には手応えがなかった。その企画は視聴者のお宅をトムさんが訪問するというもので、「トムさんが本当に自宅へやって来た!」というので、一人暮らしの女の子なんかは最初こそ大喜びするんだけど、すぐにトムさんが部屋の中を勝手にうろつきだしてタンスの引き出しなんかを空け出すから「ダメです、そこはダメです」と悲鳴を上げる。次には冷蔵庫、もうもう見られたくないところ、隠しておきたいところをトムさんがどんどん暴き始めるから次々と大騒ぎがはじまる。


結局、そういうふうにその人の素が突然飛び出してくる瞬間が「おもしろい」と、ぼくら人間は思ってしまうんですよね。そのことをトムさんは分かっているから、お宅を訪問すると、まず訪問先の人が見られたくないところを目ざとく探し出すんですが、ぼくが用意した取材先には、それが見つからなかった。それもそのはずで、そこは、とにかく見てもらいたいものが膨大にあるお宅だったんです。だから我が家へ来ませんかと番組にお便りを送ってくれたわけです。だから実際にロケにいって撮影を始めても、見てほしいものばかりなんです。でも、見て欲しいものを見せられたところでトムさんはおもしろくもなんともない。それでもロケを終えて、トムさんを先に帰して機材の撤収をし終えてちょうど車に戻ったところへ、トムさんから電話が掛かってきたんです。


「いやぁ、嬉野さんね、ちょっとあれでは番組にならない気がするんですよ。明日、東京に帰るまで少し時間があるので、大通公園でロケしませんか? 企画、考えますから」そんなことを言ってくれる。


そして翌日、トムさんと大通公園に出かけたわけです。


「どうしましょうねぇ」


こっちはもうダメディレクターですから、干からびて水を欲しがる田んぼみたいな眼差しでトムさんを見るわけです。トムさんはそんな枯渇した田んぼにあっさり水を引いてくれます。


「美人じゃんけん、やろうと思うんですよ」
「え? なんすか? 美人……じゃんけん?」
「はい。これから二手に分かれて美人を見つけてきます。双方が連れてきた美人の、どちらがより美人か、それがじゃんけんの代わりというか。まぁ、美人じゃんけんです」
「それ、やりましょう」、ふたつ返事です。


でも、美人といっても、容姿とか、そういう一般的なところを競うわけではなく、「うなじが、美人」とか「鎖骨が、美人」とか「目尻が、美人」とか、なんだか「どうでもいいだろう的な」瑣末なところで美を競うと言い張るじゃんけん。そういうていのやつをやってくれたわけです。
トムさんは知名度が高かったから、大通公園辺りにおられた若い女性たちは、みなさん喜んで協力してくださったので現場は盛り上がりを見せ、ロケははかどりました。

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ダメディレクターは編集に難航する

ところがですねぇ。おかしなことに、いざ編集を始めてみると、ぼくは手が止まりがちになるわけです。現場では盛り上がりを見たんですけど。しかしながら「美人じゃんけん」は、やはり思いつきが過ぎたか、冷静に編集してみると、どう繋いで見ても、やっぱりどっか“たるい”と思えてしまう。まったく、全てをトムさんに頼りっぱなしだったくせに、ダメディレクターは本当に自分勝手です。


でも、根がせっかちなのか、とにかく、おもしろいところから、おもしろいところへあっさり繋いでしまいたくなるんです。でも、おもしろいところへ行きつくまでの過程に“たるい”が、ある。だから、そこは端折って、もうバサバサ切って、おもしろい、おもしろいでどんどん繋いで行きたい。


でもね、当たり前ですけどね、過程を切ってしまいますとね、さすがにそこへ至る状況が分からなくなるんです。つまり繋がらない。だから繋げるために通常はナレーションを入れて省略した過程をナレーターのしゃべりで、こんなことがありましたよと説明して繋げてしまう。しかし。このナレーション処理もねぇ、“たるい”んですよね。いや、ナレーションを否定してるわけではなくてね、「しかたがないから」という消極的な演出でナレーションを使うから“たるい”と感じるわけです。「あぁ、ナレーション使ってさかんに説明してるなぁ。たるかったんだなぁ」ってバレる。


まぁ、そんなこんなで、ぼくは編集ブースで頭を抱えてひじょうに悩んでいたんです。

シカでした_HDR

一を聞いて十を知る

そこへ、藤村くんがやってきたんです。あのときはもう6月とか7月とかになっていたでしょうか。そのころになると制作部のエースで「モザイクな夜 V3」のチーフDだった杉山くんは、テレビ朝日に研修に行って札幌におらず、ディレクターの数もだいぶ減らされて、藤村くんが二代目のチーフDになっていたのです。なのでチーフDとしては、各ディレクターの作業の進捗状況を確認しないといけませんから、ぼくのところにも来たわけです。


「どう?」と藤村くんが聞くので、「いやぁ、実は、どんどん切りたいんだけど、そうもできなくて困ってるんだよ」と、肩を落として見せると、藤村くんは「そうかぁ」と答えて、しばらくの間、言うか言うまいか的な表情をして考えているふうでしたが、こんなことを言い出したんです。


「いや、オレもいつか使ってみようと思ってるんだけど。実は、たまたま夜中に変なバラエティー見てね。名も知れぬ番組だったんだけど。突然、画面いっぱいにね、黒地に白抜きの文字が出るんだよ。遊園地で乗り物に乗ってるんだけど、いきなり『次』って黒地に白抜きの文字が画面いっぱいに出るの、半秒くらい、すごい短く。で、文字があけたらもう別の乗り物に乗り込んでるんだよ」


「それだ」


本当に「それだ」と思いました。まったくコロンブスの玉子みたいな発想です。そうですよ、文字を使えば説明できちゃうんです。バッサリ、カットして省略したって文字を挟めば状況は簡潔に分かるから絶対繋がる。当たり前なんです。だって100年前、映画がまだサイレントだった時代には、当時の人間は平気で動画の中に文字を挟み込んでいたんです。そうやってナレーションなんか使えなかった時代の動画には当たり前に文字が使われていたんです。


「なんて良いヒントをくれるんだろうこの人は」


私は、心の中で藤村くんに感謝しました。そして、さっそく編集を再開したのです。

怪我の功名 大いなる発見をする

怪我の功名 大いなる発見をする

まず冒頭でトムさんがこれから始める企画の説明をするのをふつうに聞かせて、そしたら、その後からバンバン文字を入れ始める。「美人じゃんけん」「その1 鎖骨じゃんけん」「捜索開始」「美人がいない」「トム焦る」「発見」「交渉成立」、たるかった状況をバッサリ、バッサリ、大胆に、大幅にカットしているのに、短く文字が挟まれて行くので状況は見事に分かって繋がるのです。いえ、繋がるばかりか文字で状況をひとつひとつ簡潔に説明するので、番組の進行にテンポが出るのです。


おまけに、現場で、楽しそうに美人じゃんけんに興じているトムさんを、編集が容赦なくバッサリ、バッサリ、カットしてしまい、「次」と文字が短く入るとトムさんはもう真顔で美人捜索に出ているのです。現場は盛り上がってトムさんも女の子も笑顔で美人じゃんけんしてるのに、「鎖骨じゃんけん」「トムの勝ち」みたいに、短く文字がパパッと出ちゃうと、もうトムさんは次の捜索に出されている。そういう編集を見ていると、なんだか、1秒の半分の時間しか出ていない文字に、トムさんが、あしらわれ、追い回されているような錯覚が起きて、なんだか、現場にありもしなかった作り手の批評と意思とイタズラ心を感じるようで、編集で新たな雰囲気がつけられていくのです。それがおもしろかった。


これはものすごい発見だと思いました。どうして名もない深夜のバラエティー番組で、せっかく「次」という文字を動画の中に挟み込む手法を思いついたディレクターの人は、この手法をその先も発展させて編集で使わなかったのでしょう。


もしかすると25年前の当時は、まだ編集に常識というのがあって、動画の中に画面いっぱいのデッカい文字を出して文字で説明するなんて、そんなのは編集として「野暮だ」とか「邪道だ」とかいった認識が邪魔をして、それがブレーキになったのかもしれませんね。それで、せっかく大発見をしたのに、その人は、それ以上その手法を発展させなかった、ということかもしれません。


でもこの、「短く文字を挟み込んで多用する」という編集方法は本当に画期的でした。だって、つまらない部分を全部カットできるんです。そして、おもしろいところだけで繋げてしまえちゃうのです。だから編集しててこんな楽しいことはないわけです。けっきょく編集のテンポが崩れたり、テンポが出なかったりするのは、番組を見ている人に他のことを考えさせてしまうからです。そこに編集の隙があるわけです。

編集に隙があるとテンポは崩れる

編集に隙があるとテンポは崩れる

つまり、見ていて「不意に意味を見失う」「説明不足で状況を追えなくなる」「なにをしているのか分からなくて、どこを見れば良いのかわからなくなり見ていて飽きる」、こういったことが起きると見る側の気持ちは画面についていかなくなるので、そこでテンポが崩れるのです。テンポが崩れる原因は全部それです。だから、「トム走る」「交渉」「説得」「交渉失敗」「待ち伏せ」「連行」とか、文字を多用していくと、文字で簡潔に「今何が起きているか」を印象付けられるので不明な部分がなくなってテンポが出るんです。テンポとは、そういう見る側の心理が絡んでいるものなんです。


「美人じゃんけん」の編集は、制作部のディレクターの間でも少し評判になりました。「あんな編集があるんだ」みたいな感じで感心してくれるやつもいました。怪我の功名と藤村くんがくれたヒントのお陰でした。


それからしばらくして「モザイクな夜 V3」は終了が決定し、あと番組として「水曜どうでしょう」が立ち上がり、ぼくと藤村くんは「水曜どうでしょう」の第一回目のロケ「サイコロ1」の旅に出て、手応えを感じてロケから戻りましたが、藤村くんは「モザイクな夜」の残務がまだ残っているからと、ぼくに「水曜どうでしょう」の最初の編集を任せると言うのです。


「オレ今さぁ、編集してる時間ないから、とりあえず、あんた編集しといてよ」


そう言うのです。これは今から考えれば相当珍しいことです。有り得ないくらいにです。だって藤村くんは自分がチーフDとして初めて立ち上げた番組の最初の編集を、自分ではなく、ぼくにやらせると言っているわけです。そして、「え? そうなの? 分かった」と、ぼくが承諾すると、彼は、その後にこう付け加えたのです。


「あ、それでほら。あなたがトムさんの編集でやった文字テロップを多用するやつ。あの編集で、ちょっとやってみてよ」と。


カットしたいのに省略できず、激しく悩んでいたぼくに、「次」という文字を挟むことで省略できるんじゃないかなぁとヒントをくれた藤村くんでしたが、まさか、ぼくが番組の全編に渡ってまで文字を多用して編集するとまでは思っていなかったのかもしれません。しかも「次」とい文字以外にもいろんな文字を使っていましたから。ひょっとすると、自分がやろうと思っていた文字の使い方とは違っていて、ぼくは、かなり大規模に使っていたのかもしれません。それでも、なんか嬉野さんの使いかたの方がおもしろかったな。と思って。そして、「嬉野さんは、いったいどんなふうに文字を使って編集しているんだろう」と、興味を持った。だから、もう少しぼくに編集させてみて、ぼくが「水曜どうでしょう」の最初の編集を、文字を多用したやりかたでどう繋ぐのか、その様子を見ておきたかったのかもしれません。だから「編集やっといて」と、藤村くんはぼくに振った。どうもそんな気がするのです。

文字テロップの多用に続いて ジャンプカットも多用する

文字テロップの多用に続いて ジャンプカットも多用する

でも、藤村くんのその采配は正解だったと思います。結局ぼくは、文字テロップの多用に加えて、さらに全編に渡ってジャンプカットで編集してしまっていたのですから。


で、どうしてぼくが「水曜どうでしょう」の編集をジャンプカットで繋いでしまったかというと。それは、一にも二にも大泉くんのしゃべりのリズムでした。「待って、待って、待って」「え〜っと。聞いてないなぁ」「それはなんですか?」「エキシビジョン? 落ちるやつ? 怖いなぁ」。彼が次々に繰り出すしゃべりのリズムが、聴いているととにかく気持ち良くて。だから、もっと、もっとと聴いていたくなってしまって。それで結局、その間に挟まってくる鈴井さんのコメントを切りたくなってしまうわけです。とにかく試しに、一回、鈴井さんのコメントを切って、切って、切って、大泉、大泉、大泉で繋いで聴いてみよう。そう思ってそのようにしたら、なんか、とんでもなく心地良かったんです、しゃべりのリズムが。


さらに、ジャンプカットで構わず音の良いところで切れるということは、大泉洋のリズムが、編集者の間で好きに繋げもするということですから、ますます気持ち良く聴けるわけです。


当然、ワンカメラで撮ったやつを、コメント単位で短く切り刻んで繋げているから、視覚的には、つなぎ目の度に人物や背景がガクガク跳ねてジャンプするように見えてしまうけど、でも、そのギクシャクした動きも全編に渡ってやってしまったら、見ている方はそういうものとして見てしまうから、けっきょく違和感も、違和感だらけにされてしまうと違和感にならないで、味になってしまうわけです。


で、それを藤村くんに見せました。そしたら、彼は、突然ジャンプカットが始まり、そのジャンプカットがそのまま最後まで激続きするので目を丸くして驚いている様子でしたが、すぐに笑顔になり、「これ、おもしろいねぇ」と、静かに悦びを見せ、ぼくの編集方法はその瞬間から全て採用となり「水曜どうでしょう」の編集は現在に至るわけです。だから、藤村くんとしても、ぼくと出会って、ぼくと一緒に「水曜どうでしょう」を作ることになって良かったんだと思うんですが、でもね、いよいよ1996年の秋から始まる新番組で、藤村くんが初めてチーフDとなり、ついては、その相方のディレクターが、当時の制作部長の采配で、どうしてだかぼくだと決まったそのことに関しては、「なんで、あんたとなんだよ!」と、当時、藤村くんからすったもんだ苦情がありましたが、まぁ、それは、いずれ機会がありましたら、また長々と書きましょう、ということで、本日のところはこれにて終了。


結局まあ、昔話を書いて終わるというだけのことになりましたが、とはいえ、人生の参考になる話がまったくなかったかといえば、そんなこともないわけでね。とにかく、人生は考えようです。考えようでなんとか楽しくなりますから。みなさんも各自の持ち場で今後もお気張りください。そしてくれぐれもメンタルにご無理のないよう、つねに気が楽になる方に考えて人生はご対応下さい。間違えてもご自分でご自分を追い込んだりされませんように。そして、どうぞ朗らかな心で今日をお過ごしくださいますよう、祈念してやみません。


あ、そうだ。ちょっと待って、みなさん。
最後にひとつだけ宣伝をさせてもらっていいですか?


ぼくが少し前に書いた「ひらあやまり」という本が文庫になっていまして。たしか電子版もあると思うんですよ。で、その本の後半で、ぼくが初めてドラマの企画を担当することになったときのいきさつを書いてます。経験したことない仕事を独りでやらなきゃいけないと途方に暮れている人おられましたら、ぜひお読みください。やったことないのにやんなきゃいけないことって、当たり前だけど、どうやっていけばいいのか見当もつかない。でも、先輩に「こうやってごらん」と教えられたって、そもそもその人とは人間が違うんだからその人のやり方ではできっこない。だけど、これからドラマを作るんだから、見てくれた人が「おもしろい」と思ってくれるものにしたい。そこが仕事だから。だったら、そのスタート地点に立っているはずの企画者である自分が不安になっているなんて絶対ダメ。そう心に決めて。やり方なんか、やりながらたどり着いていくものと信じて、そうやって自分の方法を見つけながらやっていくしかない。そんなときがある。でも、いくらそう信じたって自分では一向におもしろいことのひとつも思い浮かばない。「だったらオレよ、どうする?」。独りきりで自分に問いかけ、「どうする、どうする」と呟きながら、自分には何ができて何ができないんだと冷徹にオノレを吟味して、そんな高い壁は自分には乗り越えられないと思えば、迂回してでも降り勾配を探して目的地へたどり着こうとする。そうやってど素人の企画者は、自分の筋肉を鍛えることなんかしないで、自分の体力のままで物語の核心へ、これから作るドラマの登場人物たちが生きていた場所へ、彼らの心象風景へ、「そうか……この場所だったんだ」と、とうとう、たどり着いてしまう。
こうしてできたドラマ「ミエルヒ」(2009年制作)は、国内外で多くの賞を獲得する。「ひらあやまり」(KADOKAWA文庫)-第9章 勇気をくれる仲間がいたと思うんです- どうぞお読みください。あ、気に入られました方は、続刊「ぬかよろこび」「ただばたらき」も、ぜひどうぞ。以上宣伝終わり。


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